ケイアイのあゆみ |
1936年(昭和11年)に医療機器メーカーとして創立された 北島商会が当社のルーツ。 当社は長い歴史の中で培った技術を大切に受け継ぎつつ、 新しい知識やノウハウも積極的に吸収。 お客様や社会のニーズに設計力と技術で応える、 柔軟な事業スタイルを確立しています。 |
||
ケイアイのルーツ北島商会が 軍人療養所に納入した車いすが、 後に『箱根式車いす』と呼ばれる 日本で最初の車いすだと 言われています。 |
日本の 車いすの歴史が 当社の歴史でも あります |
||
「人としてどうなの?」 ということを とても大切にしています |
|||
利用者の心に 寄り添う オーダーメイド車いす |
|||
「ケイアイの車いすなら外に出てもいい」 ご利用される方の心のケアにも 貢献できる車いすを作れたら…。 それがオーダーメイド車いすの設計に 対する思いです。 |
|||
希望の轍 未来へと進んでいく 車いすの軌跡 |
社長のごあいさつ
私は介護保険法が施行された2000年に入社し、わずか3年後の2003年に父の急逝に伴い代表取締役に就任しました。
当時は28歳で右も左も分からない状況でしたが、お客様や従業員、関係各社のたくさんの方にサポートしていただきながらここまでやってくることができました。
現在、車椅子は、国内はもとより世界の様々な国から多くの製品が輸入されるようになり、まさに多種多様の選択が出来る時代になりました。
その中からお客様に最適な1台をお届けするためには、豊富な知識はもちろんのこと、より使いやすくするための技術や常に親身になって対応する優しさがなければ成り立たたないと考えています。
また、私が入社した2000年に施行された介護保険法が20年以上経過し、今では福祉用具もご利用者様にとってとても身近な存在になりました。
弊社は元々国内最古の車椅子メーカーとしてスタートしましたが、現在は車椅子以外のご相談も多く受けるようになりました。
車椅子はもちろんのこと、関連製品から福祉用具、住宅改修まで。
豊富な知識と技術を、優しさを持ってご提案できる企業を目指して、ケイアイは今後も努力を続けてまいります。
乙武洋匡氏からの
メッセージ
ケイアイ創立80周年、誠におめでとうございます。
私の足代わりであり、パートナーでもある電動車椅子。
そのメンテナンスをご担当くださっているケイアイさんの存在なくして、私の生活は成り立ちません。
創立100周年に向けて、今後ますますのご発展を祈念しております。
80周年を
迎えるにあたって
2016年(平成28年)をもちまして
創立80周年を迎えるに至りました。
これもひとえに、ステークホルダーの皆様の長きにわたるご支援、ご愛顧の賜物と心から感謝しております。厚く御礼申し上げます。
今から80年前に第二次世界大戦で負傷された戦傷者の方々に、車椅子を制作したのが弊社の始まりです。
当時の車椅子はたくさんの戦傷者が運ばれた箱根療養所に納品されたことから箱根式車いすと呼ばれ、これが日本で製造された最古の車椅子と
言われております。
従いまして弊社の始まりは日本の車椅子の始まりでもあります。
以降、これまで弊社はオーダーメイド車椅子を中心に、地域の皆様と共に歩んでまいりましたが、それまで全てが順風満帆というわけではなく、
私が代表に就任した平成15年以降だけでも、本当に様々なことがありました。
そんな中、この日を迎えられたのもステークホルダーの皆様のご支援や苦節を一緒に乗り越えてきた社員の皆さん、また、社員を陰ながらサポート
してくれたご家族の皆さんのお蔭であり、本当に感謝の気持ちで一杯です。
また、創業以降各年代で支えてくれていたであろう、お客様や先輩社員様にも感謝しなければなりません。ありがとうございます。
80年というと私の年齢のちょうど倍の数字でございます。
あらためてその数字の大きさを実感すると同時に、責任の重さも痛感しております。
現在介護、福祉を取り巻く環境は一段と厳しさを増しております。
社会保障費の削減が叫ばれる中、車椅子のモジュール化の推進、最近ではロボットといった新しい技術も身近になる時代になりました。
こうした時代の変化やスピードにもしっかり対応し、今まで以上に地域の皆様に必要とされる会社となって100年企業を目指していく所存です。
今後も皆さま方のより一層のご支援ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
日本の車椅子
の歴史
どうやって車椅子は誕生したのか
世界の車椅子の始まり
日本の車椅子のお話をする前に、世界ではどうなのか。
ドイツやスペインなどでは1500年~1600年の時代に、車椅子に似た椅子を使用している
絵などが確認されていることから、この時代から車椅子のようなものが使われていたと
思われます。
当時ヨーロッパでは椅子は権威の象徴としての意味合いもあったようで、必需品というより
もどちらかと言えば贅沢品として扱われていたのではないかという説もあります。
廻転自在車
これが国内となると、車椅子に関する国内の歴史についての文献や資料がほとんど
ないため、今日まで様々な憶測が出ているのですが、その中でも国産第一号では
ないかと言われているのが『廻転自在車』と言われているものです。
しかし、この廻転自在車は誰がどこで作ったのかなどは明らかにされておりません。
国内最古の車椅子「箱根式車いす」
そんな中、当社の前身である北島藤次郎商店は、1936年(昭和11年)に北島商会という名で創業し、車椅子の製造を始めました。
製造のきっかけとなったのが三井財閥のご子息が病気になり、入院先だった聖路加病院に英国から車椅子を輸入しましたが、大きくて体に
合わなかったため、これを改造したことがきっかけと言われております。
その後、日本は多くの戦傷者が国立箱根療養所(現国立病院機構箱根病院)に運ばれました。
国立箱根療養所は傷痍軍人箱根療養所という名で、支那事変による戦傷脊損患者を収容していたため、多くの人が車椅子を必要としていましたが、
当時の日本は物資不足で車椅子や義肢は一般には渡りませんでした。
そんな状況を憂慮した箱根療養所庶務課長だった遠藤保喜さんという方が、戦後の混乱の中、疎開先の八王子で北島藤次郎を探し出して車椅子の
製造を依頼しました。
依頼を受けた北島藤次郎は、先述の英国産の車椅子を改造したものを元に、何とか
車椅子を完成させ、箱根療養所に納入をしました。
この車椅子はフレームが鉄、座席部分は北海道産の塩路という木材で作られ、座面や
背面は籐で編んだものを使用しています。
この車椅子が後に『箱根式車いす』と呼ばれ、製造者が明確な日本最古の車椅子と
言われるようになりました。
その後、籐の部分がフェルトに改良されたものが納入されるようになり、この車椅子は
現存あるもっとも古い車椅子と言われております。
これが日本の車椅子の始まりとなります。
車椅子の進化、そして現在へ
その後、1949年(昭和24年)に「身体障害者福祉法」が制定され、 車椅子が補装具として給付されるようになりました。写真は当時行われていた展示会のものです。この写真は、北島藤次郎商店が設立された1955年(昭和30年)10月に、長野県松本市で開催された展示会の一枚です。
前方大車輪型やハンドル型など、現在はあまり見かけない形の車椅子が主流だったことが分かります。
一番左の車椅子は「北島式折畳手動運動車」と書いてあり、既にこの頃から折りたたみの車椅子が販売されていたのが分かります。
また、写真をよく見るとエアクッションのようなものが置いてあります。
その後、日本の車椅子は1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック、パラリンピックの開催を契機に急速に各種の研究、改良が行われ、
大きく進化を遂げてきました。
今ではさまざまな種類や材質の異なるもの等が作られ、生活用具やスポーツ用具としても不可欠なものとなっております。